東京ノーヴイ・レパートリーシアター日誌

東京ノーヴイ・レパートリーシアターは下北沢を拠点として活動する、プロの演劇集団です。 「心の栄養」をテーマにチェーホフ、ゴーリキー、近松門左衛門、宮沢賢治、シェイクスピアの傑作を毎週上演しています。

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

07/27のツイートまとめ

tokyonovyi

ついに開校!スタニスラフスキーアカデミー 2013年9月第1期受講者2次募集のお知らせ http://t.co/FVq15VdhR4
07-27 20:24

スポンサーサイト

handmadeJAPANフェス

handmadeJAPANフェスに行ってきた。作ったものをみて、作った人を見ると、この人からこんな創造がうまれたのかー。と2倍たのしめる。様々な個性が満載。国際展示場のスペース一杯にところ狭しとならんだ作品をみるに、創造性をひらきたいと望むのは人間の自然な欲求なんだなぁとつくづく思ったhandmadeフェスでした。


ペンネーム
革細工の御用命はカンノへ。

コントロールとコミュニケーション

事務所番、本日は渡部朋彦です

先日自分のFBかな?にも書いた事ですが

友人の森君にフェルデンクラウスの施術をしてもらってた時期がありました

フェルデンクライスっていうのは
非常に面白いボディーワークなんですが

人間が自分で想像している自分の動き(身体的な動きです、手を伸ばすとか、歩くとか諸々)
と、実際の自分の動きの間にはズレがある



で、そのずれを出来る限り無くしていくというか、誤差を修正して一致させるというか
そういうことで、音楽家でもダンサーでもアスリートでも、パフォーマンスの精度が上がる



まあ、そりゃそうに違いないですね
一部の、その「どうしても出てくる誤差を楽しむ」というような趣旨のパフォ-マンスじゃない場合はですね



その修正の為にどういう方法を用いるかというと

体の部分に独特な単純な動きの反復をさせる

で、させたら

横になってしばらく休む

この動きに対する説明
どういう意味があるとかどういう効果があるとかは、一切しない

だから、意味のわからん単純な動きを、指導者に言われるままにやって、横になって
を繰り返して何の説明もなく終了

・・・

というワーク

でも、終了時にそこいら辺をぐるぐる歩き回る事をするんですが
施術前と、明らかに体の感じが違ってるのを実感できたりするという
そういう摩訶不思議的な、面白いワークなんです

で、そのワークの後に森君とだべっていて

森君がこんな内容の事を喋ったんですね


結局ほとんどの人はコントロールしようとするんですね
でもそれじゃ本当は駄目で
コミュニケーションする事しかできないんだ
そっちが本当なんだ


みたいな、そんな内容の事をおっしゃった

これには成程言いえて妙ちゃこの事なりと感服したわけです

人は誰しも自分の気に入らないもの
それが外界の状況であれ、他人の振る舞いであれ、自分の体の状態であれ
それを自分の都合のよいようにコントロールしちゃおう
と考えがちですが
そんなこと、実際は無理だと思うんですよね
全ての存在は自分の意思で、自分の感情で行動してるわけで
そんなの強制されてもエネルギーの抑圧となって残るばかりで
それは結局歪みを生むんだから

だから、コントロールでなくて
コミュニケーションの中から互いに都合のよい方向を探すのだと
それが我々にできる最大限唯一の事なのだと
そういうことを森君は言いたかったのだと思うのですね

うん、これは、「真理」じゃないかなあ

で、まあ、あこの話にいたく感動したのがもう1年か2年前なんだけれども

先日ふとこの事を思い出して
新たなゲシュタルトの誕生があったわけです
(ゲシュタルト、なんて自分的に新しい言葉使ってみるので、実は使い方間違ってるかもしらんですが、間違ってたらすんません)

コントロール=自己を甘やかすこと=退化を生む

コミュニケーション=自己を鍛えること=発展進化を生む

って事だろうな、と

まあ、そう思ったんです

書きっぱなしですんません

どーも、渡部でした

・・・

ん?

・・・

ふ~ん

・・・

そうか・・・な?

・・・


ぷぷぷっ


なんてな

・・・

へへへ~

そう考えると

俺、あれだよ

白墨の輪の上等兵役で、グルシェにフライパンでぶんなぐられる時

「手加減して、ここをこういうふうに、こういうタイミングで殴ってね」

ってな、一種のコントロールをグルシェに対して、して無いかんね

そしたら不思議なもんでさ、五感の全部が総動員されて

背後で動くグルシェの呼吸や衣擦れの音や、そういう情報を元にグルシェの演技と、全力でコミュニケーションしてる気がするんだよね

だからきっと俺は、

他人からフライパンで叩かれてひっくり返るってことに関して

進化してるに違いない!

発展してるに違いない!

なんて・・・ね、ははは

ま、無責任な書きなぐりですんませんが

いつもありがとうございます!!

今後とも、宜しくお願いしますです~

小さき生き物

先日、我が家のベランダに念願の綺麗な睡蓮の花が咲いた。
バケツで育てているが、やはり咲くと綺麗だ。
去年も咲いたが、色が汚く、貧相な花だった。
今年は薬を変えたせいか綺麗に咲いた。

が、ふと水の中をよく見ると、小さい虫がウヨウヨ…。
薬を変えたせいで虫も増えたらしい…。

メダカを飼ってみるかと思い立つが、果たしてこの暑さで生きれるのだろうか…と疑問。

それでもメダカを5匹買ってはみたが、水質が大丈夫か、虫は食ってくれるか、暑さは大丈夫かと、いろいろ不安が出てくる。

水質チェックをし、バケツに放す。

気持ちよく泳いでいる姿をみると、安堵と共に少しの清涼感と愛くるしさが出てくる。
名前をつけてみようかとも思ったが、どれがメスでどれがオスかわからない…。
名前をつけるのは諦めてみた。
暑さも大丈夫のようだ。
またまた安堵。

エサを与えてみた。
4匹はがっつくように食べるが、1匹だけドンクサイのがいて、底に沈んでからエサを探し始める。
上まで上がって食べに来い!と思ったのだが、人間界にもいるようにメダカ界にもいるのかな?と思った。
この1匹だけ「ニート」と名前をつけてみた。

そんな矢先、そのニートが底に沈んだまま死んでしまっていた。
あまりエサを食べなかったからなのか、病気にでもなっていたのか…。
せっかく第一号に名前をつけたのに残念だ。

しばし、また名前をつけられずメダカを観察することに…。
しかし、やはり癒される。

ニートがいたバケツに、2つ目の睡蓮の花が咲いた。
ニートはきっと、メダカから花になったのかもしれない…。

オカザキ

ちょこちょこっとした話 19

『3哲人、ダイエーに集う』


ひと月も前のことだったか、下北沢のダイエーの前に3人の若いお母さんたちが連れだっていた。

井戸端会議の真っ最中。
それぞれのベビーカーに、赤ん坊。
赤ん坊が3人。

生後半年?一年?
まだ言葉は喋れない。

そのうちの2人が、「アバ~、アワワワ~、ウバ~、ア~」と、大激論!?

相手が、なにかを言い終わるのを待たずして、もうひとりが激しく反論している…みたいに見えた。

かと思うと、最後まで話を聞いてから、自分の意見を述べている…ように思えた。

さらに、間髪入れず、相づちを打って同意する…そんなカンジだった。

なにを言っているかは、さっぱり分からない。
だが、間違いなく会話している。


「あっちの世界はどうだった?」
 「まあまあさ。こっちはどうかな?」
 「さあね、ロクでもないかな。」
 「そこがいいのさ、そうだろ?」
 「そうかね?」
 「そうだよ!」
 「冗談冗談、わかってるよ、ま、飲もうぜ。あ、赤ん坊だった。」
 「残念、また今度。」
 「そうだな、また今度。」
…みたいな。
 …いや、もう少し、激論だったな。

時にベビーカーから身を乗りだし、体をよじり、いっぱいの身振り手振り、まるで、居酒屋でおじさん達が哲学談義してるカンジ。
イヤー、かなりの激論であった。

「アバ~、ウバ~、アワワワ~」で、ちゃんと会話できるんだなぁ~、凄いな赤ん坊!

そのすぐ隣で、聞き耳をたて、無言で、じっと2人を見ているもうひとりの赤ん坊。
すでに、深いものを感じさせる、貫禄のある眼差しであった。

3哲人、畏れ入った。

では、また…

4つの小咄

これからは、気が付いた時するようこころがけます。

1、心がイライラして自分が怒りっぽく、なぜか回りも上手くいかない時に、皆さんはどうしているか、教えて欲しいです。
悩み真っ只中

2、山梨で39.1度だったそうな!皆さん是非水分、ミネラル、栄養を摂ってくださいね。

3、夜中、道に自転車止めて、?してるといろんな人が寄って来る。
若い集団の男の子が一番怖い((((;゜Д゜)))  皆様ご注意遊ばせ。

4、今日は7月10日は観音様の縁日です。
落語の「船徳」にこの日お参りすれば、4万6千日ご利益があると言われてます。
猛暑でなければ行きたいですなあ~
以前、夕方から浅草巡りをして、「宮戸川」というお店でご馳走を食べたっけ、
風流だなぁ~「茶の湯」

瞽女唄日記 ~瞽女唄デビュー編~

山形県東置賜郡川西町
ここは私の両親が生まれた土地でもあり、昔、越後の瞽女さまが度々訪れた土地でもある。
ここに、以前瞽女宿だった古民家で瞽女唄を楽しもうという企画がある。
今年で7年目、出演者は私の師匠の萱森さんである。

ずっと行ってみたいと思っていたところ、今年は色々な偶然が重なり、そのチャンスがやってきた。
新潟でのお稽古の翌日が公演日だったこと。同じ時に父が山形に帰省していたこと。
「新潟から山形に行くからお父さん家泊めて。」
こうして2013年6月28日、父を伴い、「里の暮らしを楽しむ・越後瞽女唄と蛍の夕べ」というイベントに参加することになった。


午後2時、従兄弟に集合場所の「羽前小松駅」まで車で送ってもらうと、もうすでに人が集まっている。父と私を含めて10人くらいであろうか。
年配の方がほとんどで、知り合い同士の人が何人かいるらしく、にこやかに挨拶を交わしている。
後で知ったのだが、「東京川西会」という、川西町の出身で現在東京方面に暮らしている人たちの集まりらしい。参加者が揃うとジャンボタクシーに乗り込み、会場となる古民家「土礼味庵」に向かう。
さっそく家の中に入り、主催者の挨拶、古民家の説明などを聞く。築400年くらいらしい。よく手入れがなされていて、ぴかぴかしている。
そして参加者の自己紹介。ここで「東京川西会」の存在を知る。
「父が川西町出身で、個人的に萱森さんのファンなので、参加しました。」と、萱森さんが師匠であることは伏せて自己紹介を済ませると、次の父が
「娘が萱森さんに瞽女唄を教わっていて・・・」とあっさりばらしてしまう。意気の合わない親子である。
こうして開会の儀なるものが終わると、フリータイムとなり、古民家近辺を散策する。といっても周りは田んぼしかないのだが、そんな一面の田んぼになぜか幸せを感じてしまう。この、「玉庭地区」と呼ばれる地域は、同じ川西町でも、両親の実家のある「大塚地区」よりも山間にあり、うっそうとしている。もっと言えば、より田舎っぽい。しかしどちらもいかにも農村で、人と自然のエネルギーに満ちている。


午後3時半、郷土料理教室が始まる。
三種の大豆を石臼で挽いてきな粉を作ったり、笹の葉に餅米を包んで笹巻き(一般的にはちまきと呼ばれるの?)を作ったりといった手作業に加え、地元の方が用意してくれた、わらびやふき、うこぎなどの山菜料理を盛りつけたりしていると、
「萱森さんが到着されました。」との声。
入り口の方を覗いてみると、萱森さんと目が合い、あわてて会釈する。
山形に行くことは前日の稽古の時に伝えていたのだが、なんだか「見つかってしまった」ような気がして恥ずかしくなる。


午後5時半、みんなで作った料理を食べる。
農村の食べ物はとにかく美味しい。前日、父の実家で食べた丸なすの漬け物や玉こんにゃく、自家製の野菜たちといい、この日の山菜料理、わらび汁、笹巻き、しそ巻き。これらを食べて元気にならないわけにはいかない。東京でスナック菓子をおいしいと思ってしまう自分が悲しすぎる。
こんな事を考えながら、地元の酒蔵で作ったお酒を頂き、食の幸せを噛み締めていると
「萱森さんが一緒にお食事されます。」との声。
別室で控えていたと思われる萱森さんが座に加わり、またも「見つかってしまった」ような気がして、無意味に父に話かけたりしていると、突然萱森さんが私に向かい、
「小関さん、それ以上飲まないで。万歳やるわよ。」
「いやいやいやいやいやいやいやいや・・・・・・・」
万歳とは、瞽女唄の演目のひとつで、太夫役の人がひとつの唄を唄い上げていく途中に、才蔵役の人が全く関係のない言葉をはさんでちゃちゃを入れる、という二人いなければ出来ないもので、私の姿を早々に見つけた萱森さんは、なかなか聞かせられないこの演目をやる絶好のチャンスだと、急に思い立ってしまったらしい。
まさに私は「見つかってしまっていた」わけだ。


午後7時。瞽女唄公演が始まる。
いつものように萱森さん自身によって、唄の解説、過去の公演のエピソードなどを加えながら進行されていく。
やはり東京の公演とは雰囲気が違う。自然に囲まれた静かな土地、歴史を重ねた建物、そんな場所につつまれた人々の反応は、柔らかくて、素直で無邪気で、自分の内部までもが純化されていくようだ。
門付け唄「瞽女松坂」。段もの「八百屋お七」。
この空気の中に、萱森さんの歌声はずっしりしっかり歩みを進める。
「ああ、私はこの中で、本当に唄うのだろうか・・・父もいる。親戚の信子さんもいるなかで・・・」
そして、公演中盤。
「今夜は蛍も見られるということで、蛍の出てくる唄を唄おうと思っていたのですが、気が変わりました。小関さん、隠れてないで出ていらっしゃい。」と萱森さん。
そんなつもりもなかったのだが、私はやはり隠れていたか・・・
それから、私がノーヴイの女優であること、瞽女唄を勉強していることなどを恐らく紹介してくださっていたのだが、あまり覚えていない。
なにしろ、瞽女唄を瞽女唄として、一般のお客さんの前で唄うのは初めてなのだ。

しかしながら、歌っているときのことは意外と覚えている。
三味線の音を合わせて、歌い始めるとすぐに、萱森さんが歌詞を忘れて一回止まったこと。
「緊張しちゃって。」と唄を再開し、次に私が歌詞を忘れたときは、萱森さんが相の手をいれてフォローしてくれたこと。
お客さんがすごく盛り上がってくれていたこと。
途中で「おおっっー」などの声が聞こえ、私は楽しくて笑いそうになってしまったこと。
そして、唄が終わり、拍手喝采・・・だったようなのだが、この辺りからまたも記憶があまりない。

その後、段もの「八百屋お七」のクライマックス、立ち唄「しげさ節」と続き、萱森さんの公演は大盛況のうちに幕を閉じた。
帰っていくお客さんはみんな、笑顔で楽しそうで、本当に喜んでくれていた。
中には「鳥肌が立ちました。」と声を掛けて下さる方もいて、私の方が、お客さんから多くのものをもらったことを実感した。
帰り際、暗闇の田んぼを漂う蛍たちが、瞽女唄デビューのお祝いの光を放ってくれているようだった。


午後9時半。父の実家に帰ると、父は今日の出来事を楽しそうに語り、話題は瞽女様の話になった。
伯父や伯母も瞽女様の記憶を話してくれた。
「瞽女様(こじぇしゃま)ってなんでだが様(しゃま)つけて呼んだったな。」
「白っぽい服着て、2人か3人で、前の人さつかっまてよ。」
「ちょうどこの玄関のところで立って唄ったったな。」
「あげたのは米だったかい、銭(じぇに)だったかい。」
こんな言葉を聞いているうちに、今まで資料や写真のなかだけの光景だったものが、目の前に出現したような気がして、この土地や人々のことが愛おしくてたまらないというような気持ちになった。


今回のこの経験は、わたしにとって大きな心の財産となった。
唄を通じて、人と土地と自然とが一体となったようなあの空気感は、今まで経験したことがない。
お客さんに喜んでもらうことの喜び。
どんなに瞽女唄の魅力を分かってもらおうとしても、証明できず、理解されず、露骨に無関心な態度をとられるようなこともあり、好きになればなるほど孤独だった。ただ自分の好きを信じ通したくてやってきて、この土地は、こんな私を受け入れてくれた。
瞽女様たちも、こんな風に土地や人に惹かされてこそ、旅をすることができたのかな。

この体験を無駄にすることのないように、より一層努力を重ねていきたいと、決意も新たになった。



                              ごぜき

芸術

昔、シナリオの勉強をしていた時、シナリオに芸術性は、必要ないと指導者に言われた。
求められるものは、芸術性でなくエンターテイメント性だということなのだろう。
芸術で生活することは難しい。
演繹的に考えるか帰納的に考えるか。

かの最澄は、「衣食の中に道心なし。道心の中に衣食あり。」と言ったそうだが、道心を芸術に置き換えれば、創作をもってして生活の糧を求めることは、邪道となろう。
が、エンターテイメントの中にも芸術性なるものをしばしば感じることがある。

そもそも、芸術性とは何ぞや。
芸術で飯を食うには、どうすれば良いか。
この劇団は、格好の舞台である。
このテーマで書き始めた戯曲が400字詰めで70枚を越えた。
最終的には、道心の中に衣食は、あるのだろうが登場人物は、なかなかその境地には、達しないだろう。
ちなみにこの作業は、自分のライフワークになりそうである。

目黒

ゴドーで涙が出るなんて…

ゴドー涙



今までに、何度も「ゴドーを待ちながら」を観た事があります。

そのたびに、寝ちゃったり。。。寝ちゃったり。。。寝ちゃったり(笑)

長くてよくわからない退屈な作品だなあと実は思っていた。。

ところが…

実際、自分が稽古してみてわかった事は…

なんていい作品なんだ~~~~~!!

ほんと、すんませんでしたよベケットさん。

そして、きっと今頃は喜んでいるでしょうね、ベケットさん。
アニシモフさんの戯曲解釈は素晴らしい!
ここまで本当に、ゴドーを理解してた人っているんでしょうか、いや世界は広いからきっといたんだろうけど、私は残念ながら今までお目にかかったことがなかったよ。。

二幕の稽古で、なぜか涙が止まらなくなってしまいました。

私は、おばーちゃん子だったのですが、そのおばーちゃんが年を取るにしたがってどんどん物事を忘れていくんです。
それが私は腹立たしくて…。
今覚えば、悲しかったり寂しかったりしたんだろうけど。。
なんか、いつも怒ってたような気がするんです。
「なんでそうやって忘れちゃうの!!」って

ゴドーの稽古見てたら、そんな事を思い出してしまいました。

ディディに「覚えてないの!?」って言われるんだけどゴゴは本当になんでも忘れちゃうんですね。
だけど、ゴゴも忘れたくて忘れてる訳じゃない。。
だから、首をつろうって言うんだけど。。
ゴゴも忘れていく自分が辛いんだなって。。

うちのばーちゃんも、忘れていく、年をとってく、何もできなくなっていく自分が辛かったし寂しかったのかもなって思いました。
今更なんですがね…

私も自分が年をとってきたからこんな風に思うのかもしれません。

本当に、「ゴドーを待ちながら」は素晴らしい作品です。

ところで「ゴドー」って誰なんでしょうね。
ゴドー=ゴッド(神)説もあるけど。
「ゴッド」だったら、ちゃんとゴッドって書くってベケットさんは言ってます。
ゴドーさんが来たら、死んじゃうかもしれないから、私は来てくれなくてもいいのかなってちょっと思いました。
ずっと、ディディとゴゴの二人を観ていたいから。

                           ありか


追記

公演詳細はコチラ
http://tokyonovyi.blog76.fc2.com/blog-entry-1258.html

7月突入~!!

2013年、もう半年過ぎてしまいました。
早いですねぇ~(*≧∀≦*)

毎日暑くて、もう梅雨明けしたんじゃない?って勘違いしてしまいそうになります。
そんな日々を皆さんはどうお過ごしなのでしょうか?

この前の日曜日に劇場ではアートサロンが行われました。
金子みすゞや芥川、宮沢賢治、ブッダの言葉で元気を取り戻そう、元気になろうという企画でした。
たくさんのお客さまがいらっしゃってくれました。

飾りつけは七夕。
皆様には短冊を書いていただき、笹につけていただきました。

皆様に書いていただいた短冊の願いが全て叶いますよう、願っております。

こいぬ

習い事

声楽を習い始めて、ん十年。

2週間後に、発表会がある。

ピアノ・ヴァイオリン・声楽の合同なので、下は小学生から、上は年配の方まで幅広い。

ので、

なんだか楽しい会です。

今年は先生の都合もあって、レッスンが少なかったから、

ちょっと不安・・・。

でも、大きなホールで、ピアニストの方に伴奏を」弾いてもらって、

ちょっとした歌手気分を味わえるのもいいかなあ

今年も手作りドレスで、がんばります。

習い事はいくつになっても楽しいものですね。


peko


 | HOME | 

文字サイズの変更

メルマガ登録

【東京ノーヴイ倶楽部】 東京ノーヴイの舞台のヒミツや活動報告を 月1くらいのペースで配信します。 ※「@club-novyi.com」から配信。 ドメイン登録をお願いします。 ※メンバーサイトへもご招待致します。

メルマガの直接登録URLはコチラ

プロフィール

東京ノーヴイ

Author:東京ノーヴイ
東京ノーヴイ・レパートリーシアター

東京ノーヴイ・レパートリーシアターのメンバーたちが、任意に稽古の模様や本番の様子などを、お伝えしてまいります!

当日のキャストは
こちらをクリック→ 【出演者情報】 して
ご覧下さい。

ペンギンのつぶやきはこちらをクリック
→【ペンギンリポート】


inainaのちょっとした話→【inainaのちょっとした話スタニスラフスキーシステムについて分かりやすくお話します。

<検索タグ>
東京ノーヴイ・レパートリーシアター
ノーヴイ
ノーブイ
のーぶい
ノービー
のーびー

TNRT 公式ホームページ

東京ノーヴイ・レパートリーシアター

Twitter on FC2

@tokyonovyiさんのツイート

最近の記事

最近のコメント

リンク

このブログをリンクに追加する

RSSフィード

カテゴリー

ランキングに登録しています

ランキングに登録しています。 下の画像をポチッと押してください。 応援よろしくお願いします。↓ CoRichブログランキング

FC2Ad

Template by たけやん

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。