異世界への冒険に出よう〜公演前特集 vol.4〜

再びの劇団員による座談会でございます。

異世界への冒険に出よう

ということで、今回はすこし抽象的な話が多くなりました。

キーワードは、「非日常」「扉」「豊かさ」「試練とご褒美」「追っかけ」「消費と感動」「ディズニー」「洗脳と可能性」「深淵」「冒険と旅行」など

では、どうぞ。

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コール・トゥ・アドベンチャー



N:じゃ、座談会シリーズですけど、何を話していきましょうか?

H:お芝居をどういう動機で観に行くか、行くようになったか、というのはどうかしら?
私たち自身がね、実際に、どういう選択で演劇を観に行くかって言うのを振り返ったら、面白いかもね。

A:あ、じゃ、私の小っ恥ずかしい話、私はすごい妄想癖が激しいんです・・

N:・・それはあのR指定にはならない?

A:違いますっ。私はいつまでも夢みて色んなこと考えられるくらい妄想癖があって、ふいんって、日常生活から居なくなっちゃうんだけど、昔ね、遊眠社を観に行ったの。

Y:野田秀樹さん?

A:そう。すごい早口でさぁ、ビックリしたんだけど、だんだん日常生活と違う次元(世界)がアッチからもコッチからも飛び出してきて、妄想癖の強い私は、その違う世界が壁も無くて繋がっていく感じに勝手にウキウキしちゃって。それがキッカケで続けて観るようになったな。タイトルは忘れちゃったけど、小指の何とかっていう、赤い糸が繋がって・・

N:ああ、何かあったね。

A:小指の先の先の先のって繋がっていくのが今だに印象に残ってる。それだけで観続けるようになっちゃった。芝居なんてケシカランっていう超真面目な家庭だったけど、お芝居が、私のいわば冒険になったの。

N:異世界に出会っちゃった?

A:その世界に行っても良いんだ、っていうのに気づいたのね。例えば子供の頃に、電信柱と壁の間を通って異次元に行くんだ、っていう妄想をするでしょ、

N:ああ、それは恥ずかしい^^

A:恥ずかしいでしょ。でも、糸のおかげで「行ける!」ってなった。

H:それが何で遊眠社じゃなくてノーヴィなんか来ちゃったの?

Y:なんかって^^

A:それは色んな顛末があって「観る側」から「やる側」になったんだけど、アニシモフ先生とも出会って、これって私の世界観でいられる、日常に落とし込めるんだという安心があったのかな。

N:最初は非日常にあこがれてたのが、巡り巡って今は非日常を日常にしてしまったと。

H:うーん、そこは本当にそうなってるのかな。非日常を私たちは日常化したというけど、決してそうはなっていなくて、基本的には私たちにとっても現実の方が強かったりして、それをどう切り離すかが問題になったりするでしょ。

A:現実に引っ張られないようにするっていう?

H:うん。少なくとも私たちのレベルでは、まだそういう感じね。でも、私たちは「やる側」だから責任があると思うのよ。現実の生活から飛び出して、そこにお客さんを連れて行かなきゃでしょ。非日常にね。だから私たちはその世界について理解してる必要があるし、生活に風穴をあけるようにしていかないと。

N:なんか非日常って、「日常化」が出来ないからこそ非日常なんですよね。でも、それは蜃気楼ではないとうか、つまり日常の同一直線上に蜃気楼のようにあって、行っても行っても日常化が出来ないっていうイメージではなくて、むしろ平行世界なんじゃないかな。常に日常と非日常は隣り合っていて、さっき風穴って言ったけど、じつは非日常への扉はどこにでもあるみたいな。

H:その扉をあけるのは、ちょっと勇気が要るけど、驚きがあったり発見があったり。

N:そう。で僕らは日常の中で、いつも非日常への冒険をしていかないといけないと思うんですね。その繰り返しをやっていかないと停滞するんで人生が。だから、日常と非日常の循環をどうやっていくかっていうのが課題だなと。

H:そこで発展していくわけでしょ。あるキッカケで一回だけ飛び出して終わりじゃなくて、もっと豊かな何かがあるって探しもとめるようになると、、いいよね。

N:豊かになるっていうのは、非日常から帰ったときに、何かしら持ち帰るんですよね。色々あると思うけど、ざっくり言うと視点とか。まあ、世界の見方がちょっと変わる。そこの繰り返しが、豊かになっていくっていう事だと思うんです。で、さらに冒険ということで言うと、神話とかが典型なんだけど、その非日常の世界で「試練」を経ないとご褒美が貰えないという・・

A:あはは確かに。

H:それは具体的には?

N:神話でいうと、例えば魔王みたいな〈悪〉と闘ったり、〈謎〉を解いてみたり、〈勇気〉が試されたり、そういう試練を経ないと、お姫様とか財宝とかいうご褒美は手に入らないっていうパターンありますけど、何だろう具体的に芝居でいうと、それを娯楽として消費しただけでは試練を経ないというか・・やっぱり非日常の世界で〈自分自身と向き合う〉とかしないと何も持ち帰れないということなんだけど。

A:でもさ、私は形として何かが得られなくても、ヒントだけとかでも、行って帰って来ただけで、場所は変わってると思うのね。私の小っ恥ずかしい話みたいにさキッカケでもいいと思う。なんでも代償を考えるのは違うっていうか・・

N:場所が変わってるというのは、視点が変ったという事?もちろん、価値に気づく(視点が変わる)のはご褒美の一つだよ。でも確かにね、芸術をメリットとか機能で考えるのは間違いだと思う。

H:ちょっと話が飛ぶんだけども、アイドルの追っかけがあるでしょ?

Y:うん、飛びましたねー。

H:いや不思議なんだけど、いや分かるんだけども、アレも本人達は日常から出ていると思っているわけでしょ。だから非日常なんだけど、でも、あの楽しみは日常化してると思うのよ。そこで満足して、そこから出られなくなる人って多いと思うの。それって何なんだろうね。それと同じでいいのかな。私たちはそれと同じものを提供したいわけじゃないでしょ。

A:提供している視点が違う?

H:なんかね、芸術至上主義みたいな話じゃなくて、受け取る側の問題としてよ。追っかけもさ、日常がツマラナイから楽しいものを求めてて、あれは喜びなわけでしょ。

Y:うん、私は過去に某グループの追っかけでしたけど、その時は、幸せのアドレナリン的なもの出てましたね^^

N:確実に幸せだろ、それは。僕は追っかけじゃないけど、ネットサーフィンがそれに近いかな。延々にユーチューブとか見ちゃう幸せ。でもやっぱり、それが冒険になっているかどうかが問題なんだと思いますけど。例えば、ディズニーランドって非日常の代表みたいな言われ方をするけど、その非日常の世界から帰ってきた時に、日常世界の豊かさに繋がるかどうかの差はどこで決まるのか・・

Y:私はディズニーも大好きで一年に10回とかもうイベント毎に行ってた時期があったけど、さっきの試練とかあんまり関係なくて、ディズニーの世界に入ると日常から離れられるとか、子供になれるとか、そういう心地よい一日を過ごせるってのが大切だったと思う。

H:それは異次元っていうのか・・そこには触れてないのよ、うまく言えないけど。

N:冒険にこだわりますけど、冒険と旅行の違いだと思う。それぞれに意義があって、良い悪いはないんだけど、つまり、日常から離れられるという消極的な意義をもつ旅行と、非日常に生きるという積極的な意義をもつ冒険。それで、僕のネットサーフィンは完全に旅行になってますけど、ネットの世界にしろ、ディズニーの世界にしろ、アイドルの世界、どんな世界でも、その世界の価値に差はないと思うんです。どんな世界からでも豊かになることは出来るし、そこに差はない。そこは受け手の問題かと。

H:私は簡単にそうは言えないと思うの。だって目的が違うでしょう?どの世界は悪いってことじゃなくて、目的がまったく違ったら、差もあるでしょう、って事だけど。

N:ああ、世界観がそれぞれ違って、その世界に行ったときに更に次の世界観とどう扉がつながっているかは重要だと思う。

H:逆に見せないんじゃないの?扉なんてさ。

N:囲んじゃう?

H:うん、そこに居てくれた方がいいわけでしょ、提供する側も。

N:ああディズニー行ったら、その世界で完結するみたいな?で、例えばクラシック音楽の世界とかだと、まあ凄く範囲が広いけども、むしろ逆に無限に扉がつながっていく・・

H:そうそう、そこから演劇にも行くし、小説にも行くし、という全然違うところに行けて、更にそれは大きな輪の世界観のひとつだし無限でもあるし・・

N:より遠くに、ディープに冒険が続いちゃうと。

H:そこに差があるんだと、私は思うのね。

N:なるほど。面白いですね。

Y:昔は、なんていうかディズニーのゲートをくぐると、本当に違う世界に来たーっていう感じだったけど、今はね、普通の遊園地の感覚なのね。某アイドルも同じで、前はちょっとテレビで見てもワァーってなったのが、いまは、あっオッさんになったなーという。

N:それはイマジネーションが減退したというか錆びたというか?

A:だんだん大人になって卒業するのよ、物足りなくなってさ。

Y:その時はね、某アイドルが未成年なのにタバコを吸って逮捕されても、警察が悪いって思うのね。なんで!あんなカッコいいのに逮捕するのよっ!ってなるわけですよ^^ちゃんと考えればアレなんだけど、気持ちとしては。その辺の価値観がなんかおかしくなっちゃう。

H:そりゃファンだからね。そんくらい好きになっちゃう。でも、それは自由になる事とは真逆なのね。

N:世界観が洗脳として働く場合もあるんですね。その世界が可能性を奪うのか、その世界によって可能性が広がるのかっていう差がある。

H:美術館で天才的な人の絵を見たりすると、手が届かないものが分かってくるというか、個人の人間としての凄さに触れるよね。

N:感動の仕方は色々あると思うけど、ダ・ヴィンチよ、人間の偉大さを示してくれてありがとう。そういうこと?

H:感謝なのか分からないけど、凄いって思うの。スケールの大きさに感動するの。

A:それと近いのか分からないけど、世界の先までフーっていう線みたいなものを感じてゾッとする事はある。言葉では言い表せないその先の世界につながっているのを感じてゾクってする一瞬。

H:そう、自分では見知らない世界。私たちの作品も天才作家を選んでやっているから、その作家の世界がいかに見通せて凄いか感じる場面があるし、ああ人間を深く見てるなーっていうのに感動するじゃない。

N:Aさんの言うようにゾッとするときに感動したりする、深淵を覗いてしまうというか、考えの深淵を。

H:なかなかね、そこに触れるのも大変だし、それが見つからない事もあるけどね。

N:消費するというのは許容範囲の出来事で、そこを超えたときに感動にまでなる。

H:そこで自分の中に新しい視点が生まれたり、すぐには生まれなくても考えざるを得なくなったりして何か変わる。

N:また冒険の話に戻るけど、冒険の目的ってのが大事で、それに見合った宝が得られるんだと思うけど。

H:その話で抜けがちなのは、全人類の為にとか、自分以外の人の為にとか、自然宇宙とか大きい世界の為とかそういうものを知ったときに意識が変わるっていう・・

N:う-ん、それは酷な話で自分の楽しみだけでも・・

H:でも芸術の世界は、必ずそこを含んでいるのよ。そこ無しにはあり得ないんだよ、自分の為というのは薄れていくというか。

N:まあ、もったいないとは言えるかな。自分の楽しみの為にアートを見ても、得られる宝はそれに見合った宝だから。でも本当は、芸術に内包してる宝っていうのは、全人類的な大きなものなんだけど、目的がなければそれは見えない。そもそも、どういう問題意識、問いを持っているかで、受け取れるものはだいぶ違うと思う。

A:そんな目的を持って生きてる人はいないと思う。だから、むしろ逆にっていうか、そういう目的に気づかせてくれるのが芸術なんじゃない?

一同:ああ。

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さて、冒険へのお誘いです。
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・ドストエフスキー作『Idiot~白痴より~』
⇒2/10(月)18:30開演
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・ブレヒト作『コーカサスの白墨の輪』
⇒2/11(火・祝)15:00開演
—————————————
ウェブ予約⇒http://novyicai.cart.fc2.com/?ca=all
電話予約:0354534945(東京ノーヴイ・平日10~17時)
電話予約:0356241181(シアターΧ)
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※上演時間は両作品とも3時間半を予定
※料金1,000円(高校生以下500円)
※現在、2月&3月公演のご予約が出来ます

お宝を持ち帰ってください^^


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私たちは、ロシア功労芸術家のレオニード・アニシモフを芸術監督に迎え、ギリシャ悲劇からチェーホフにいたる、古典作品から厳選したレパートリーを上演しています

平成27年3月27日、東京都より「認定NPO法人」として認定されました。


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