天才作家伝 ~ B・ブレヒト編 ① ~

.現代演劇に大きな影響を与えた反戦の巨匠
B・ブレヒト 画像(2)

ベルトルト・ブレヒトは、1898年、ドイツのアウグスブルグで生まれ、24歳の若さで劇作家として認められて以後、詩人としても活躍しながら、その独自の演劇理論で、世界の演劇に大きな影響を与えた巨匠です。

ブレヒトの人生は、2つの世界大戦と重なっています。
16歳~20歳の多感な時期を、第1次大戦の中で過ごし、24歳の若さで詩人・劇作家として高い評価を受け、活発な演劇活動を始めますが、ブレヒトは共産主義者でもあった為、当時、ドイツ国内で力を持ち始めたナチスからは”危険人物“とみなされます。

1933年アドルフ・ヒトラーが首相に任命され、同年2月、有名な「国会議事堂放火事件」が起きると(この事件によって、ナチスはドイツ国内で権力を手に入れます)、その事件の翌日、ブレヒトは妻子を連れて国外に逃れます(妻はユダヤ人でした)。

亡命生活の始まり

ブレヒトが妻子を連れて亡命生活を送る中、1933年にナチ党政府はブレヒトの著作の刊行を禁止し、彼の著書を焚書の対象としました。

さらに!
1935年には、ナチスからドイツ市民権を剥奪されます。

(PD) ポーランド軍歩兵行進 Polish_infantry_marching_-2_1939
(ポーランド軍歩兵の行進)

1939年9月、ドイツ軍によるポーランド侵攻によって、第2次世界大戦が始まります。身の危険を感じたブレヒトは、亡命先を転々と変えながらも創作活動を続け、1941年に、アメリカ合衆国にたどり着きます。

『コーカサスの白墨の輪』執筆

『コーカサスの白墨の輪』は、アメリカ亡命時代の最後の作品です。1943年、ブレヒトの作品をブロードウエイで上演する計画がすすみ、ブレヒトはこの作品の執筆を開始。翌44年には、ほぼ書き上げられますが、45年に大戦が終結し、まもなく米ソの冷戦が始まったことから、上演は不可能となってしまいました。


そして、世界的な評価へ…

ブレヒトは東ドイツに戻ると、1949年その実績を認められ、自身の本拠地として国立劇場(劇団)ベルリナー・アンサンブルの創設を認められます。

(PD) Berlin_theater_am_schiffbauerdamm_berliner_ensemble
(ベルリナー・アンサンブルの建物)

1955年には、パリで開かれた国際演劇祭で、『肝っ玉おっ母』と『コーカサスの白墨の輪』の2作品で参加します。

この上演は大成功を収め、実質、この2作品によって、ブレヒト演劇の成果が西欧の観客に知れ渡り、同時に国立劇場ベルリナー・アンサンブルは世界の演劇人のメッカとなります。

1956年8月14日(58歳)、心臓発作のためベルリンで死去。

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