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チェーホフの素顔(1) ~家族の証言より~


■少年時代のチェーホフ(1)
チェーホフについては同時代人の多くの人が、その思い出を語っています。
今月から、チェーホフの家族の言葉を通してチェーホフの素顔を紹介していきたいと思います。
まずは、子供時代のチェーホフについて。

(PD) Melikhovoのチェーホフ [ Chekhovs_in_Melikhovo ]




チェーホフは、名前をアントンといい、1860年1月に黒海の北部アゾフ海に面する港湾都市タガンログで6人兄弟の3番目に生まれました。父は元農奴で、雑貨商をいとなむ商人でした。
(以下、この記事の中では、チェーホフを家族関係の中で話す場合は、“アントン”または“アントン・チェーホフ”の名称で呼びます)
タガンローグの生家 [ Chekhov_Birthhouse]
タガンローグの生家
 By Бобровская Ольга - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.
wikimedia.org/w/index.php?curid=43376541


「私に子供時代はなかった」

後年、チェーホフが自身の幼少期をふりかえって「私の子供時代に、子供時代はなかった」と述懐しています。チェーホフが幼い頃は、父親という存在は絶対的な権力者であったため、父親からの暴力や体罰は当たり前な時代でした。なのでチェーホフの父親について、一般には「むごい暴君」「反面教師としての父親」のイメージが広まっています。

(PD) 父パーヴェル(トリム) 316px-Chekhov_PE 父親パーヴェル

ただし、チェーホフの妹マリヤは、この父親像についてこんな風に述べています。

「…私たちの過ごした少年時代がどういう時代だったかを忘れてはなりません。祖父エゴールはさる地主の農奴として人生の辛酸を学びました。父もお金を積んで自由の身になるまでの青年時代はやはり農奴だったのです。(註:のちに、ロシアで農奴解放令が出される少し前の時代ですが、祖父エゴールはお金を払って自分の家族を農奴の身分から解放します)

「したがって、厳しく荒っぽい家風は、父が子供のころに過ごした束縛と過酷な生活の名残だったのです。

「だから、父の子供たちに対する態度がただ “むごい暴君” だったと考えるのは間違っています。気難しい人でしたけど、でも非凡な、才能のある人間だったのです。

「父のあの、芸術を愛したり音楽や歌を好んだ性質や、はっきりとした道徳観がいったいどこからきたものなのか、のちになって私は驚きの目を見張ったものでした。彼は自分ではまったく教育を受けたことのない人間でしたが、子供達にはなんとかして中学で勉強させようとしました。子女の教育にはまったく反動的な考え方をしていた当時の商人家庭の仕来たりを思い起こしてみれば、私たちの父が同じ階層の他の人たちよりどれほど進んでいたかが分かります。」
『兄チェーホフ ~遠い過去から~』(マリヤ・チェーホワ著:筑摩書房)より

才能を開花した兄弟たち
チェーホフ家の兄弟は、チェーホフ自身を含め全部で6人いましたが、全員が才能豊かな天分を持っていたようです。アントン以外の子供たちも、作家や画家として活躍したり、あるいは教師となりました。父の代まで農奴であったのに、その子供たちのほとんどがいずれも豊かな才能を発揮したのは驚くべきことです。(のちにアメリカに渡った俳優、演出家のマイケル・チェーホフは、長男アレキサンドルの息子で、アントンの甥にあたります)

(PD) Melikhovoのチェーホフ。左から右へ:Maria、Anton、Ivan、?、Michael [ Chekhovs_in_Melikhovo ]
メリホヴォ時代のチェーホフの兄弟たち (左から右へ:妹マリヤ、アントン・チェーホフ、4男イワン、間の女性は不明、5男ミハイル



■自由の身分を手に入れた、祖父エゴールについて
先に紹介したマリヤの話の中に少し触れられていますが、チェーホフの祖父と父親はかつて農奴でした。

しかし祖父エゴールは、自由を欲する気持ちが非常に強かったため、家族全員分の身代金を払って、自由の身分を手に入れます。それは公的に「農奴解放令」が出る前の出来事でした。農奴制末期の時代とはいえ、こういうことが出来たのは驚きです。


この時、ちょっとしたエピソードがあったことを、弟、ミハイル・チェーホフが紹介しています。


エゴールは、自分の主人であるチェルトコフという地主に家族全員の身代金を払います。ところが、娘一人分だけお金が足りなかったのです!

「…娘、アレクサンドラの身代金が足りなかったので、祖父は金を工面して身受けに来るまで娘をよそに売らないでほしいと頼んで、地主のもとを去ろうとした。しかし、チェルトコフはちょっと考えて、『待て』というふうに手を振った。

『ま、これもありか…。おまけだ、持って行け!』

というわけで、ぼくたちの叔母アレクサンドラも自由の身になったのである。…」
『わが兄チェーホフ』(ミハイル・チェーホフ/東洋書店新社) より

なんだか、映画のワンシーンに出て来そうなエピソードです。

(この記事は、2018/5/8 に修正加筆しました)

 

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平成27年3月27日、東京都より「認定NPO法人」として認定されました。


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