東京ノーヴイ・レパートリーシアター日誌

東京ノーヴイ・レパートリーシアターは下北沢を拠点として活動する、プロの演劇集団です。                  11月よりチェーホフ、ゴーリキー、近松門左衛門、宮沢賢治の傑作を毎週金・土に上演いたします。

『ロシア人から観た曾根崎心中』

2008/05/22 18:24 [Thu]
6月に、町田演劇鑑賞会で、東京ノーヴイ・レパートリーシアターの「曾根崎心中」が上演されます。
それに先立ち、わがアニシモフ氏の講演が行なわれました。

(町田経済新聞でも、取り上げられています。http://machida.keizai.biz/headline/153/

その時の内容を町田演劇鑑賞会の役員の方が大変わかりやすくまとめてくださっていますので、ここに載せてみます。
(快く掲載許可を頂きました。ありがとうございます)




平成20年4月19日、町田演劇鑑賞会総会記念講演として、東京ノーヴィ・レパートリーシアター芸術監督のレオニード・アニシモフ氏 による「ロシア人から見た曾根崎心中」が開催されました。
劇団の俳優・上世博及氏の見事な通訳でお話もわかりやすく、時折冗談も織り交ぜながらの楽しいお話でした。
以下お話の概要をまとめてみました。


 まず感動したのは、日本にこのような演劇を支えてくださる人たちがいる、
演劇鑑賞会というものがある、ということです。
これは大変素晴らしいことです。
ロシアにこのような組織はありません。アメリカにもありません。

○スタニフラフスキー・システム
 チェーホフのスタニフラフスキー・システムは100年前に確立されたものですが、
意味を理解している人はまだ少ないのが現状です。
このシステムは生々しいリアルな演技を求めます。
観客は舞台の上の「人間」を観に来るのです。
生きている人間は素晴らしいエネルギーを放射することができます。
俳優は舞台の上で、「いかに生きるか」、「いかに生きている人間になるか」を
本当にリアルにその場で考えるのです。これを身につけるのは難しいです。
7年間日本で教えていますが、舞台の上で本当に生きた人間になるには
訓練を積まなければなりません。

○「曾根崎心中」について
 ロシアでは、日本文化が非常に興味を持たれています。
松尾芭蕉など、日本文学作品は大変奥深く複雑で、
本当のところまで理解はできないが、だからこそ面白いのです。
私は日本に触れて、また新しい人生が始まったと言えるでしょう。
近松門左衛門はシェイクスピアと同等の素晴らしい作家だと私は思っています。
「曾根崎心中」は最初人形浄瑠璃として書かれたものです。
この心中というのは日本独特の文化です。
シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」と比較してみても、
「曾根崎心中」の方が深い心理がある気がします。
「ロミオ〜」では二人の恋の妨げになるものは、家族の反対でした。
しかし、「曾根崎〜」では、さらに商人と遊女という、
恋を禁じられている立場の二人といった深い障害があるのです。
この恋をいかにして貫くかという点で心理的に複雑なのです。
内面的だけでなく外的な障害があるという点で、シェィクスピアの2倍複雑だと言えます。
 そもそも、この「恋愛心中」というものが容認されている日本の文化に
私はびっくりしました。
そしてその深いところを理解したいと思いました。
この「曾根崎心中」は実際にあった事件をもとにしたお芝居ですが、
その影響で心中が増えたそうです。
ロシアでも似たような事件はありました。
しかし、同時に死ぬというのはロシアにはありません。
私も実は失恋で自殺を考えたこともありました。
しかしふと思うのですが、彼女の方は一緒に死のうとまで考えてくれただろうか? 
否。そんなことはあり得ません。
ところが日本文化においては心中というのはあり得る、
その上儀式まである。それも精神的に美しい儀式が。
魂・精神は死んでも生き続けるという信仰があり、それはとても高尚なものなのです。
ヨーロッパでは恋愛はこの世だけのものです。
しかし近松の作品の中では愛はあの世までも永遠であり、
またそういう希望を与えてくれるのです。
そこが日本文化の美しさなのです。
それを知って私は感動しました。そして、近松を世界に知ってもらいたい、と思いました。
近松は歴史を動かす人であり、民族的文化の中に新しい文化を生み出す人なのです。
 私はこの作品を韓国・ロシアで上演しました。
驚くことに、通訳なしで受け入れられました。
観客は全てに同情してくれました。つまり、魂同士のコミュニケーションが生まれたのです。
そこには言葉はなくてもいいのです。
言葉は重要な部分を占めなくなっているのです。
芸術の中で言葉は重要ではない。
バレエやオペラを見てもそれは正しいといえるでしょう。
言葉ではなく、人間の感情が人を癒すことができるのです。
日常生活より舞台の上では余計なものがないので、
舞台上の人間が本物であればより一層、人を癒すことができます。
「真実」が何よりも人を癒すことができるのです。


 お話の後、参加者からのいくつかの質問にも
アニシモフさんはひとつひとつやさしく丁寧に答えてくださいました。
楽しくあっという間の1時間でした。
6月の「曾根崎心中」の例会がとても楽しみになりました。

  優秀な役員がまとめてくれました。4302




※※この公演に関しての、お問い合わせは町田演劇鑑賞会様に直接お願いいたします※※



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この記事へのコメント

5/24「曽根崎心中」私見

5/24 「曽根崎心中」
 私見としては、今シーズン三度目、前節(昨年)の5月から数えれば、通算四度めの観劇となる「曽根崎」。前回は、3月初めだったから、以来一月半ぶり 、だが前回の印象も強く残っているし、つい先日、町田で の演出家アニシモフ氏の講演記録を読ん だ事もあり、 また新たな期待で臨む。
 そして、期待に違わぬ新鮮さと、新しい発見に出会う事が出来た。

 「ノーヴィ版」この作品の魅力として感じるのは、まず、「コントラスト」の面白さ。全く対極の、異質の物が微妙に反撥 しながらも溶け合い融合して作用する、その実験感覚の楽しさ がある。
 それは、アニシモフ師が町田でも話されていたように 、彼自身が異国文化に惹かれたというその驚きと共通性、もっ といえば世界性、国や文化を超えて訴える普遍的な力によるの かも知れない。

 幕開きから日本的な「いにしえ」の伝統的なるもの、浄瑠 璃 や三味線の響きと、流れてくるバッハのようなキリスト教 圏的な西洋音楽が、微妙に、美妙に、マッチしている。「銀河 鉄道」でも、菩薩道とキリスト教的世界が融合し、そこにまた 、バッハのマタイ受難曲的な音楽が実に効果的だったが、ここ でも
、生と死にまつわる荘厳なテーマのこの悲劇に相応しい 、宗教音楽的な西洋の調べが、日本の橋や竹の風景とも全く違 和感なく融合して効果を高めて、現代の私達が、ごく自然に芝居の中にはいってゆける助けとなっている。
 そして、なんとも、にこやかに、ソフトに登場した噺家風 の近松はんが、これまたなんとも、この悲劇とは対極の明るさ軽さ 判り易さで、悲劇作品にはミスマッチながら、実に楽しく導入する。橋を越えてゆき、供の者の名を呼びながら入った近松が 、本役の徳に代わるあたりは、実に鮮やかな演出の技の「冴え 」を観る思いだ。現代の日常から、一気に元禄の上方の雑踏へ と、音響効果の助けもあって、トリップしていく。
 ここでも丁稚とのやりとりで軽やかな笑いを見せながら、 お初が登場すると、途端に、喜劇から悲劇へと転移する。
 ここ でのお初は、長い無沙汰の馴染み客、徳を案じ、なじりつつも 嘆き懇願し、わが思いの潔白と一途さを切々と訴えかける。
 徳 には仕事があり、仕えねばならぬ家があり、従わねばならない 親がいる。全てが、お初との仲を引き裂こうと作用する。一方 のお初とて、仕事も身分も境遇も金も何もかも、 徳と結ばれる事は、全く可能性のない程に過酷な現実の中に居 る。そして、彼は、来ない日が続いたのだ。
 ところがそれなのに、というかそれゆえに、か、彼女は益々 確信を持って、徳を信じて愛し抜く思いは変わらないと言う。 
言うだけでなく全身がそう表現している。本来、女郎、遊女とは金の為に身を売る、最も、純情や純真からは、遠いと看做されている存在の筈、その彼女が、誰よりも純粋な愛を口に する 、その見事さ潔さ。何ともすさまじいまでの、尊厳。

 それは九兵次との対決の時、より顕著になる。金も力もな い、そして死なねば救われない、徳を慕うという、九兵次から 見れば 足元にも及ばない筈の、最低の無一物の無力な哀れな 女郎の筈のお初が、全く一歩も引かずに、誇りに満ちて言い 放ち、撃退する。何もかも持たない敗北者の筈のお初が、ひれ 伏して従うと思い込んでいた九兵次は、たちまち追い出されて しまう。こ の、お初の強さ、潔さは、全て唯ひとつ、愛、ゆ えにだ。このあたりのお初の、強さと弱さ、嘆きと怒り、 幸福に輝き満面の笑顔を浮かべたかと思うと、死なねばならぬ 絶望感に陥るという両極を往来する激しい女心の揺れが、短い場面の凝縮された中に、実にビビットに転変して、それが決して別々に分離することなく、お初という一人の女性の実存とし て統合的人格の様々な面の表れとして見え、迫力と実在感に満ちていた。
 お初という一人の、感受性豊かで勝気な、高いプラ イド(矜持)と知性と豊かな愛情を持ち合わせたすばらしい女性を、まさにそこに見る思いだった。

 人形浄瑠璃・文楽には元来、沢山の素晴らしい女主人公が登場する が、このお初もその一人であり、設定として、原作としての素晴らしさはもちろんだが、今日この場でこの舞台で演じられた お初には、それを更に上まわり超えて迫ってくる激しい実在感 があった。悲しみも悔しさも、嘆きも微笑みも、どれもが一つ 一つ、そしてその総体としての人物が、お初のそし て、この 「曽根崎心中」の物語に込められた作者や当時の民衆の思いや 願いをリアルに伝えていた。そしてそれは三百年の時を超えて 、現代の我々にも、共有できるものとして伝わった。

それはなにより、彼女、そして徳様や九兵次や朋輩衆たち各キャス ト達が、そして演出スタッフたちがそれぞれに、この物語を、「遠いいにしえの物語」として でなく 、今現代、同じ我々の日常に繋がる物語として捉え、 そこで今を生きようとして役に挑んだ結果であろうと思う。
 このキャスト達は、同じようにして、百年前のロシアを、 その地主や貴族や小作や軍人や浮浪者を生き、幻想の宇宙空間 や、近代日本の片田舎で子供として生きてみたりもする、時間 と空間を旅して生きるいわば「巡礼」「巡回者」「旅人」 達だ。いつの時代どんな場所でも変わらない人の心の複雑さと 、素晴らしさをよく知っている人たちだ。そして文字通り国境 を超えて来た指導者と共に、様々な旅と経験を重ねて、 多くの実りある物語を舞台に乗せて見せてくれる。今後も、更なる展開に期待したい。

追伸・安東私見<6>また送らせていただきました。
    尚、この作品の分析が「魅力その1」だけで紙幅が尽きてしまいましたので、もしお許しいた        だければ、続編、「ノーヴィ版「曽根崎」の魅力その2」への続きとさせていただきたく存じます。

    最近、劇団の方に、声をかけていただく機会が多くなり、大変嬉しく存じますが、度胸がないの      で、いつもドギマギして、あまりきちんとお答えできずに、失礼しています。残り少ないシーズン、     一回ごとに、きちんと大切に拝見したく存じます。

>安東千枝穂さま
毎回、素晴らしいコメントをありがとうございます。
自分達でも気付いていないものを、気付かされます。
一つの作品が、お客様の思考を刺激してるという事が何よりも嬉しく思います。
目には見えないけどれど、確かにある何かを信じて、今日も精進してまいります。
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