東京ノーヴイ・レパートリーシアター日誌

東京ノーヴイ・レパートリーシアターは下北沢を拠点として活動する、プロの演劇集団です。 12月よりチェーホフ、ゴーリキー、近松門左衛門、宮沢賢治、シェイクスピアの傑作を毎週上演して参ります。お楽しみに!

「銀河鉄道の夜」 〜感想文〜

「銀河鉄道の夜」 の感想を <安東 千枝穂>様より頂きました。
ご本人の許可を頂いた上で、掲載させて頂きます。



以下、安東 千枝穂様の感想文です。



 半年ぶりに見た「銀河鉄道の夜」。一年前の初演以来、シアターX公演も含めて繰り返し観劇しているが、その新鮮さは、少しも変わらないままに、一層、情感は深められ、研ぎ澄まされた舞台となっていた。

 いわゆる「児童青少年演目」の代表的演目として、さまざまな形で劇化上演され映画化もされていて、その幾つかを見ているが、シンプルに真っ直ぐに原作そのものと真正面から向き合うという点では、このノーヴィの舞台が最も、賢治の原作精神に忠実であると感じる。
ミュージカルも含めて、多くの劇団は「○○版」として、原作を換骨奪胎しながら、それぞれのカラーを加えて、見所を「付加」している。

しかし、アニシモフ演出によるこの舞台は、逆に、「削ぎ落とす」ことにより、賢治の苦悩、原作精神に直感的に迫ろうとしている。賢治の原作は、本質的に重く暗い。
そしてそれは、現代にも変わりなく続いている。しかし、というか、だからこそ、多くの制作者達は、なんとか、賢治の持つファンタジー性や友情などのプラス面を前面に押し出すことで、劇を「救われ」たようなものにしたいと考える。だが、ノーヴィの舞台は、その暗さや重さを、そのままに提示する。
救いようのないこれが現実だと示し出す。
チェホフやゴーリキー、近松にも繋がるリアルな現実を重視する姿勢がそこにはある。
作り事でない現実そのものの中で、迷い悩む等身大の登場人物達、だからこそ、共感し感動を憶える。

 その一方で、原作の持つファンタジー性も、誇張しすぎることなく原作そのままの形で、充分に活かされ、この劇を支えている。
らっこの上着を土産に帰ってくると言ってそのまま戻らない父のことで、いじめられたジョバンニが寝転ぶ「ススキの原」は、ほんの数本だけの短く小さいすすきだが、極めて象徴的に叙情的に表現され、郷愁を誘う。
そこに泣き崩れるジョバンニの痛みがストレートに伝わるのは、その場面が目の高さに設定されて、クローズアップされ、近い距離で、泣き震えるジョバンニの身体表現がそのまま見えるからだ。
演技はもちろんのことだが、このクローズアップ手法こそ、この劇場の特質であり、アニシモフ演出の最奥義の一つといえよう。
もちろん照明・美術・音楽も、そして何よりも俳優の集中力が、このアニシモフ・クローズアップ・マジックを支える主要な要素だ。
どれ一つ欠けても、このシンプルにして最大限の効果は成立しない。

 乗り込んだ銀河鉄道の中で、孤独な少年ジョバンニは、数少ない味方、最良の友であるカムパネルラと再会する。
そして二人の楽しい旅が始まる。

暗く重いこの劇の、一つの山場であり、この物語そのものの一つの見せ場だ。
最大の神秘と魅力に満ちた大宇宙を、最先端科学の結晶である鉄道が飛んで旅するという、ファンタジードリーム。
アニメーションやCG映像、そして舞台のあらゆる機構を駆使して展開したいこの場面を、この劇場では、三間四方に満たない空間、水の反射による乱反射、三つの窓枠と揺れる座席だけで表現する。

咲き誇る花達が見え、無数に流れ飛ぶ竜胆の花々を手に取ろうとはしゃぎまわる少年達。
母の土産にと、カムパネルラが、ようやく一つだけつかむ竜胆の花が唯一あるだけで、あとは全て、二人の「驚きの表情」と「はしゃぎよう」だけで表現される。
そして、それが充分に伝わる。
二人の目にそれが見えていて、その驚きや美しいものに出あった時の喜びや感動が、直接、伝わるからだ。
それを見た彼らの幸福感が、そのまま伝わり、まるで彼らの目を通して見ているように、シンクロ(共感)できるからだ。
その前にいじめられ、泣きじゃくるジョバンニを目の当たりにして、すでに観客の心は、ジョバンニにシンクロしている。
同じような体験や感情を呼び覚まされて、ナイーブな心で救いを求めている。
そこに汽笛が聞こえて汽車が来て、夜空へ飛び立つ。
その驚きと戸惑いの中でやっと出会えた、この世でただ一人の友、一番信頼できるカムパネルラと一緒に見る奇跡の光景、それこそ、ジョバンニの夢見たかったもの、そして観客たちの求めていたものだった。

舞散る花やりんごの匂いを、アニメーションやCG映像ならどんなふうに表現するだろう。
その目を見張るような誇張表現は、ここでは要らない。
多分それ以上に、人の想像力は無限に夢幻を思い描く事ができるだろうから。
どんなに最先端のプロジェクト映像をここに流しても、この二人の少年たちの恍惚の表情とそれへのシンクロの間に入りうるものではないだろう。(もちろんそこまでに計算された特殊効果の出現には期待するが、少なくともここには無縁であるし、今は必要ない。ちゃちなテクノロジーを越えるシンクロニシティーがあるから)ただの黒一色のパネルや幕があるだけだが、それが最大限の効果を生み出す。
照明も決して色とりどりの極彩色を使う訳ではない、それどころか逆に、絞りに絞り込み、照らさない事で、必要なものだけを炙り出す。
いわば、これは暗黒照明−闇照明だ。

 これは新作「ハムレット」を見て、今回、初めて発見し、改めて「銀河」を見て実感したことでもある。アニシモフ演出は、貪欲に取り込む事でなく、大胆に切り捨てる事により、核心部だけをクローズアップする。
時には光を当てないことにより、闇や暗黒を用い、セリフを言わせない事で「沈黙」の言葉を語らせたりもする。

そういえば、本人のセリフによらず、録音または、語りによる外からの感情表現も「ハムレット」と「銀河」に共通している。
それが「銀河」では、原作賢治の詩的なファンタジーを、「ハムレット」では、孤独な王子の誰にも語れぬ自己告白の内心表現をと、それぞれに違いはあるが効果的に表している。
また極度に制限された小道具も、「銀河」ではススキや「夜汽車」(このシンプルで牧歌的的造形美は、極めて秀逸)、流し燈籠、「曽根崎」では竹、橋等々、あたかも能舞台を思わせる象徴的な用い方で、効果をあげている。もちろん、劇構成においても、この大胆なカット、集約がうまく使われていて、しかも、その絞込み方において、独特のものがあり、見慣れたスタンダードな作品でも、新鮮な異彩を放つ。
とりわけ、この「銀河鉄道」では、後から乗ってきた沈没船の若い乗客、家庭教師と姉弟との交流と対立が、原作を変えることなく丁寧に組み立てられていて、この作品の気高さを保っている。
見た目だけの、夜空を飛ぶ汽車の中での冒険友情物語としての薄さで終わるような作品ではなくて、信仰と人生の、社会と自己の葛藤という賢治の精神世界の高みにまで肉迫している。
その位にまで、ジョバンニの苦しみや悲しみ、喜びや安堵、そして清涼な孤独が直接に伝わって来る舞台であった。俳優の目に見えているものを、あたかも同じ様に見、感じた痛みや幸福感までを分かち合う、「テレパシー」というには余りにも実存的な「シンクロニシティ」がこの舞台には、確かに存在した。
シアターXでもそれは確かめられたから、空間の広さ狭さによるものだけではない。

今流行りの「エア・ギター」や「ものまね」や「パロディ」は、その「オリジナル」への共通認識がないと成立しない。
同様に、この「シンクロ」も、古典を古典として捉えるだけでは、成立しない。
今の感覚でその古典との共通項を取出して、俳優自身の今の感情を重ねる事ができて初めてそれは観客と共有できるようになるのであろう。
ノーヴィの若い俳優達が、名だたる名作古典に、現代を投影し、自己を乗せて対峙する、その真剣勝負の緊張感が心地よい。
原作と舞台と観客が重なり合って生まれる感動は、この劇場、この舞台に独特のものである。
三十席の乗客となって、共に旅する次の発車を心待ちにしている。

この日は、賢治の故郷にある、銀河ホールで長く勤められた新田満氏によるアフタートークがあり、その東北人らしい口調と人柄も大変心地よく、賢治や作品への思いも伝わる楽しいイベントとなった。

質問の中に、1)書き換えられた原作の中には、乗客の姉弟が、一人だけの事もあるが、どうして?、2)賢治作品の出てくる「エーテル」とは?
という問いがあった。これに付言。

1)原作についてはここには詳述しないが、少なくともこの舞台では、姉弟と家庭教師という三人がとてもいいバランスで並び、しかも、この舞台でしかありえないが、ボックス席に、ジョバンニの脇に弟タダシが、その向かいでカンパネルラの脇に姉がすわるという位置関係で、ジョバンニとタダシが仲良くなり、姉と親しむカンパネルラにジョバンニが嫉妬して、そんな自分を責めるというような複雑な思いまでも、うまくこの位置関係で作り上げている。姉と弟という(賢治と妹とは似て非なる)家族の親睦とそこに近づくカンパネルラ、そして近づきながらもひいてしまう孤独なジョバンニの思い、このあたりが実に丁寧に組み立てられて切なく、明るく笑う中でこそ感じるジョバンニの寂しさが一層伝わっ て来る。
喜怒哀楽表現の細かい切り替えが見事にできているからであろう。
姉の存在は大きく、神様論争の決裂も、最後のジョバンニと交わす目線の遣り取りの痛切な寂しさも、とても効果的に作用している。弟の純朴さもいい。
姉弟、どちらか一人だけでは、こうはゆかないだろう。

2)「エーテル」は化学用語として、また神学用語、古代語としてもそれぞれ別の独特の意味があるようだが、賢治の用語としては、やはり最先端科学としての用い方と共に、同時に又、限りないファンタジーを誘う詩的表現としても、宇宙を満たす不思議な溶質として、夢のような存在感を示す言葉として有効に使われているようだ。
「エーテル」自体は、現代科学では、すでに古びた古代の概念として扱われているようだが、ちょうどアインシュタインの相対性理論の対極にあった「エーテル」理論がまだ現役であったらしい当事、賢治がどういう意味で用いたかは不明だが、今、思うには、なんとも不思議な科学と空想のはざま、あわいにある夢幻を誘う言葉として、リアリズムと共存するファンタジーを支える用語ではあるように思われる。

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