言葉の力
先日の新潟での瞽女唄の稽古でのこと。萱森先生がこんなことを話してくれた。
新潟県の文化推進委員会みたいなところで演奏を頼まれたのだが、政治家の先生たちは鑑賞態度が悪く、
毎年いろんなジャンルの演奏家を呼ぶのだが、毎年ひどい状態なので、あらかじめ謝罪されたそうだ。
そんな話はよく聞くが、萱森先生の公演でひどい状態になることはまずないと言う。
案の定、萱森先生が演奏を始めると、毎年うるさい政治家の先生もおとなしくなったらしい。
「言葉の力ってすごいわね。」
なんて、萱森先生は言ったけど、それって言葉の力だけだとは思えない。
だって!瞽女唄の言葉は古い言葉で、聞いて誰でもわかることばじゃないんです!!
きっと、言葉によって点火された炎が、唄いを通じて聞く人の心も点火しちゃうような、そんな感覚のことが萱森先生の言う言葉の力ってやつだと思う。
要するに、演劇における「台詞」と同じ感じ?
スタニスラフスキーシステムでいうともっと論理的に説明されちゃうんだろうけど・・・
つまり、萱森先生の中にはスタニスラフスキーシステムみたいなものがちゃんと存在していて、プラス本当にいた瞽女さんたちの魂みたいなものによって、政治家の先生たちを黙らせることが出来たのではなかろうか?
「瞽女唄は芸術みたいに洗練されたものじゃないからこれは芸術ではない」と先生はよく言うのだけど、
それが本当は芸術な気がします。
ま、そんなことはどっちでも良いか。
大事なことは、政治家の先生たちの意識を変えられるような質のものを創造しなくては!
甘くはないけど。
ごぜぎ
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