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アンティゴネー名言集「私は憎しみあうより、愛を選びます。」

「アンティゴネー」特集 2
古典の魅力と言えば、その一つは間違いなく、含蓄に富んだ「名言」の数々です。
ソポクレスは、王女アンティゴネーに「私は憎しみあうより、愛を選びます。」と語らせます。

今回は、その『アンティゴネー』の中から、ソポクレスの素晴らしい言葉を幾つか選んでみました。

60% ソポクレス(PD)(PD:ソポクレス)


・裁判官が正しくないと、ひどいことになる。

・神々の掟は、時を超えて生きている。

・一途に思いつめ、自分のみが正しい、などと言わぬもの。

・自分だけが分別を心得ていると思っている連中は、中身をあけてみると実は空っぽ。

・たとえ賢者であろうとも、人から学ぶことは決して恥ではない。

・人は頑なであってはならぬ。

・人間生まれながらに、森羅万象すべてのことに通じているならば、それに越したことはない。しかし、そうは行かぬのが世のならいならば、人がよいことを言っている時はそれを学ぶことこそ立派なこと。

・良き分別こそ、神々の授けたもうた宝物。

・人の一生というものは、褒め称えるにせよ不平をかこつにせよ、これが自分の一生だと決めることなどはできない。

・幸せでいる者を運がなぎ倒す、不幸に転んでいる者を運が起こす。

・今は何もお祈り召されますな。与えられた悲しき運命を避けるなど、人間にはできぬこと。

・よき思慮こそ、幸せの要諦なり。

・神々に向かってゆめ不敬の振舞いあるべからず。

・心奢りて大言壮語を弄べば、神罰痛し、恐ろし。

10% (PD) 「アキレウスとペンテシレイア」エクセキアス作。紀元前540年ごろ(大英博物館)Achilles_Penthesileia_BM_B209 (PD:ギリシャ神話が描かれた壺絵)



さて、3月には、この『アンティゴネー』が下北沢で上演されます。
2018年 3月22日(木) ~ 24日(土)
ギリシャ悲劇
 ソポクレス作『アンティゴネー』

今回は、3公演のみになります。
下北沢の劇場は、限定25席の空間です。ご予約はお早めにどうぞ。
公演の詳細とお申し込みはコチラ!

<公演情報・申込み>ボタン 


2月、清里のオルゴール博物館で、「アンティゴネー」を公演しました!

ギリシャ悲劇「アンティゴネー」特集 1

2月17日に、私たちは、山梨県北杜市の「萌木の村オルゴール博物館」にて、ギリシャ悲劇『アンティゴネー』を上演してきました。
これはホームシアターと呼ばれるもので、劇場ではない建物を利用しての特別な公演です。

    □上演日時:2018年2月17日(土)
    □会場:「萌木の村オルゴール博物館 Hall of Halls」

オルゴール博物館 山梨県北杜市「萌木の村オルゴール博物館」HPより


2月16日、早朝、皆で東京を出発。
お昼には、萌木の村オルゴール博物館に到着しました。


お天気がちょっと心配でしたが、好天に恵まれました。


10% IMG_20180216_113943 (1) 
さて、到着してスグ、
博物館の前で、猫に遭遇!
10% neko ③ 
この「萌木の村」で飼われている
猫なのでしょうか? 

人に慣れた感じでしたが、
皆に囲まれて驚いたのか、
その後、逃走…。
(スミマセン)
10% neko ② 
午後は、このオルゴール博物館での空間の使い方を探すために、様々な可能性を試しながら、丁寧に丁寧に、場面ごとのリハーサルを進めていきました。

残念ながら、この日は全場面を通すことはできませんでした。リハ後、全員でホテルに宿泊です。



2月17日
午前中に最後のリハを済ませ、お客様を迎えます。


1519306144048.jpg 1519306154619.jpg 

14時半~、本番が始まりました。
50% 2018アンティゴネ in オルゴール博物館 2-4 

終演後に主催者の方々より、「最高の芸術を間近で観ることができ感動した」との言葉を頂きました。

片づけを終わらせた後、博物館スタッフの方もまじえて、
皆で記念写真を撮影しました。
皆さん、本当にお疲れさまでした! 

スタッフ交えての集合写真 

今後も引き続き、こういった機会での特別な公演活動も続けてまいります。どうぞ、お楽しみに!



さて、3月には、この『アンティゴネー』が下北沢で上演されます。
2018年 3月22日(木) ~ 24日(土)
ギリシャ悲劇
 ソポクレス作『アンティゴネー』

今回は、3公演のみになります。
下北沢の劇場は、限定25席の空間です。ご予約はお早めにどうぞ。
公演の詳細とお申し込みはコチラ!
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なかなか上演されない「観音巡り」(曾根崎心中)


近松門左衛門 特集 3  
~『曾根崎心中』 当時の大坂をのぞく(3)~

今回は、現代ではなかなか上演されない、『曾根崎心中』の冒頭、「観音巡り」についての紹介です。

「…近松門左衛門の原『曾根崎心中』は、「観音巡り」から始まります。
この「観音巡り」は、主人公お初が大坂三十三所の寺々を巡って歩いていく姿を描いたものです。近松の本領ともいうべき美しい詞章が連ねられており、またそこに描かれる、お初の若々しい姿は非常に印象的です。文学作品として読むなら、きわめて重要な部分です。ただ本筋に直接関係がないことと詞章の難解さから、初演以来、ほとんどこの部分が上演されることはありませんでした。」

50%size (pd) 「牟芸古雅志」(瀬川如月著)より人形浄瑠璃「曾根崎心中」上演の様子 

この「観音巡り」のシーンは、大阪に住んでいる方にとっては、ごく身近な、当たり前の描写なのでしょう。
ただ、大阪に住んでいない私たちにはなかなか、実際に訪れる機会はありません。
今回、紹介させていただいております『心中への招待』で、著者の小林恭二氏が、実際に三十三所巡りを敢行し、その体験をレポートしてます。

「これも何かの縁だと思って、ある冬の日、歩いて廻ってみることにしました。…(中略)…
食事時間をあわせてざっと7時間、距離にして20キロ近く歩いたでしょうか。ただ廃寺が多く、実際に廻ったのは24所でした。しかも手を合わせる時間は、平均で5秒くらい。お初はちゃんと手をあわせ、賽銭も投げたでしょうから、もっと時間がかかったでしょう。一日で廻るのはかなり難しいというのが実感でした。」


近松は、当時では珍しいリアリズムの作家でもあり、実際の事件をもとに作品を書く際には、相当に調べあげて書いていることが知られています。おそらくは、この界隈を何度も歩きながら、想を練ったのではないでしょうか。
大阪を訪れる際は、ぜひ訪ねてみたいと思います。

※私たちの『曾根崎心中』では、この「観音巡り」の部分を、
「サザエさん」磯野波平役の声で親しまれた、声優の 故  永井一郎氏に、
素晴らしいナレーションで語ってもらっています。これは本当に、何回聞いても感動する、素晴らしい語り口です!
ぜひ私たちの劇場に足を運んでご堪能ください。
30 永井一郎写真 

参考: 小林恭二 著 『心中への招待』 (文藝春秋)



2018年2月22日(木) ~ 25日(日) 『曾根崎心中』 
公演の詳細はこちら20% 「曾根崎」申込バナー(横・うす茶)  


今とは違う? 近松の時代の『曾根崎心中』

近松門左衛門 特集 2  
~『曾根崎心中』の大坂をのぞく~(2)


2018年2月22日(木) ~ 25日(日) 『曾根崎心中』 
公演の詳細はこちら


近松の時代の人形は「一人使い」
今でこそ、文楽といえば「三人使い」ですが、近松の頃はまだ、人形は一人使いでした。三人使いの人形が登場するのは、近松が死んで10年くらい経った頃。それも当時は、ショー的な効果を狙ってのワンシーン限定に作られた人形だったそうです。
(pd) 辰松八郎兵衛が操るお初の人形:「牟芸古雅志」(瀬川如月著)より人形浄瑠璃「曾根崎心中」上演の様子(pd) 辰松八郎兵衛が操るお初の人形:「牟芸古雅志」(瀬川如月著)より

この挿絵の中に描かれている「辰松八郎兵衛」は、女方人形遣いの名手として知られ、1703年の竹本義太夫演奏による『曾根崎心中』初演では、お初を演じました。

もう1枚、当時の人形浄瑠璃の挿絵を紹介しましょう。
この挿絵は近松の舞台のものではありませんが、 『人倫訓蒙図彙』(1690年)に描かれたものです。やはり一人使いですね。

部分 20% (PD) 『人倫訓蒙図彙』(1690年)より「人形浄瑠璃」挿図


近松の作品に向いているのは、1人使い? 3人使い?
近松の死後、文楽人形は、「三人使い」の操作が考案され、やがて、目を動かし、舌を出し、髪を逆立て、腹を動かせるようにもなるなど、高度な感情表現を手に入れていきます。

けれども近松の作品は、こうした複雑な人形操作を必要としない、素朴でシンプルな人形劇の時代に書かれ、上演されました。

近松の、リズミカルで、たたみかけるような文体は、むしろこうした一人使いの人形に支えられての作風といえるのかもしれませんね。もしかしたら、近松の作品は「一人使い」の人形に戻って上演する方が、より楽しめるのかもしれません。そんな想像も膨らんでしまいます。
例えば作家の橋本治先生が、著書『浄瑠璃を読もう』の中で、近松の文体、作風と、一人使いの人形操作の関係について書かれています。機会があればぜひお読みください。(この本はとっても面白いので、おススメです。)

さて、『曾根崎心中』の上演は爆発的な人気を呼び、その後、「心中もの」シリーズが大流行します。
ところが「心中」自体も頻発するようになってしまったため、「心中もの」は、社会規範を乱す作品として、江戸幕府によって厳しい取り締まりの対象となり、以後上演することができなくなりました。(近松晩年の頃のことです。)

そして時代が変わり、明治時代。
演劇改革のパイオニア、坪内逍遥(つぼうち しょうよう)博士によって、近松門左衛門の作品が再発見、再評価されるまでの間、たとえば『曾根崎心中』などは200年の間、上演されることがありませんでした。(ちなみに「近松門左衛門は、日本のシェイクスピアだ」と評したのは、この坪内逍遥先生です)

その間に、音楽スコア(三味線譜)も失われ、当時、どのように上演されたか、今となっては分かりません。
現代に上演されている『曾根崎心中』は、実は、新たに作曲し、演出しなおされたものです。
1953年、宇野信夫先生が歌舞伎版『曾根崎心中』を脚色、復活上演が行われ、文楽では、1955年に、野沢松之助の脚色・作曲によって復活上演されました。

こうやって見てくると、
近松の再評価、近松作品の可能性を探る道のりは、実は、まだまだ「途上」なのかもしれませんね。



※おことわり
文中では、「人形使い」という表記で統一していますが、正確には「人形遣い」という表記になります。


※参考:『浄瑠璃を読もう』 橋本治著/新潮社

50%size (pd) 「牟芸古雅志」(瀬川如月著)より人形浄瑠璃「曾根崎心中」上演の様子 
「牟芸古雅志(むぎこがし)」(瀬川如月著)より人形浄瑠璃「曾根崎心中」上演の様子(Public Domain)

10% (PD) 『人倫訓蒙図彙』(1690年)より「人形浄瑠璃」挿図 (Public Domain) 『人倫訓蒙図彙』(1690年)より「人形浄瑠璃」挿図



2018年2月22日(木) ~ 25日(日) 『曾根崎心中』 
公演の詳細はこちら

『曾根崎心中』 当時の大坂をのぞく (1)

近松門左衛門 特集 1  
元禄時代の大坂は、こんなに凄かった!
~『曾根崎心中』 当時の大坂をのぞく~(1)

40%size (pd) 近松門左衛門(和書「國文学名家肖像集」)(PublicDomain) 近松門左衛門(和書「國文学名家肖像集」)



『心中への招待状 – 華麗なる恋愛死の世界 – 』
(小林恭二著/文藝春秋)より
50% 『心中への招待状』表紙

近松門左衛門「曾根崎心中」を独特の視点から読み解いた小林恭二先生の『心中への招待状』。今回は、同書から幾つか記事を紹介しながら、「曾根崎心中」の時代を覗いてみたいと思います。



2月22日(木) ~ 25日(日) 『曾根崎心中』公演の詳細はこちら
近松門左衛門『曾根崎心中』




50 江戸時代の大坂①
「菱垣新綿番船川口出帆之図 」(大阪府立図書館
http://e-library2.gprime.jp/lib_pref_osaka/da/detail?tilcod=0000000007-00010154)

『曾根崎心中』の舞台となった元禄期の大坂は、
世界的にも類を見ないほど、大繁栄を誇った町だった!


では、さっそく小林先生の著書から、当時の大坂の繁栄ぶりを引用してみましょう。

「世に千載一遇ということばがあります。千年に一度しか出会えないようなビッグチャンスという意味です。歴史には、ときどき恐るべきチャンスが無造作に転がっている場所や時間が存在します。…(中略)…本書の舞台となる元禄時代の大坂も、商人にとっては千載一遇の都でした。…」

全ての流通は大坂へ
「元禄時代の大坂には日本中のモノが集まっていました。あらゆる物産(外国製品も含む)が一度大坂に集められ、そこで値を定められた上で、全国に散ってゆくシステムになっていたからです。当然、莫大な富が大坂に落ちました。1714年に大坂に入ってきた金は、約409万両。これに対して大坂から出ていった金は137万両。差し引き272万両が大坂に落ちた計算になります。資本主義が未発達な時代、これは莫大な金額です。しかもこれをわずか40万弱の人々が分け取りにするんです。ピンとこない人のためにいうなら、子供や老人ですら、毎年7両ずつ(150万円くらいでしょうか?)純資産(収入ではありませんよ)を増やしていけた計算になります。
まともな商人であれば、10年も働けば、確実に資産家になれたでしょう。…(中略)…大阪は空前の繁栄を誇りました。そして日本はもとより中国やヨーロッパにも類を見ない豪商が軒をつらねたのです。」

「大坂は船でもって市街のほとんどにゆくことができました。これが商業都市にとってどれだけアドバンテージとなったか、想像もつかないほどです。大八車やせいぜい馬車でしかものを運べなかった時代に、あらゆる倉庫に船で運べたんですから。
大坂は都市計画の傑作でした。しかもその都市計画はすべて商業に照準が置かれていました。」

 

当然、食の町としてもトップだった大坂
「…蝦夷の昆布も、遠江の椎茸も、伊勢のクジラも、志摩のアワビも、紀伊の砂糖も、播磨の塩も、…みな大坂を経由していました。つまり、大坂以外では一部の特権階級しか手に入れられないものが、大坂では庶民でもごく簡単に手に入れられたのです。その端的な例が出汁(だし)です。出汁に使う昆布にせよ、鰹節にせよ、イリコにせよ、椎茸にせよ、一部の地方の特産品です。」
これらをすべてそろえた上、料理によって使い分けるなどという贅沢は、ただ大坂のみができました。大坂では、年端もゆかぬ丁稚ですら、きつねうどんの汁の良し悪しを論評しました。」

80% 食材  

「大坂は酒の都でもありました。当時日本人が飲んでいたのは、いわゆる、どぶろくです。よく昔話に一升の酒を飲んだの二升飲んだのと出てきますが、当時の酒は酒精分が少なく、今のビールくらいでした。ですから、多少なりとも酔おうと思ったら、大量に飲まざるを得なかったのです。しかし、大坂ではいちはやく清酒が広まっていました。おかげで彼らは浴びるように飲まなくても酒に酔うことができました。もちろん味も格段に向上しました。薄く、コクのないどぶろくしか知らない当時の人々にとって、清酒はまさに美禄でした。」




30 (PD) 大坂郊外の写真  
(図は、1902年に撮影された大坂郊外の写真/(Public Domain))



2月22日(木) ~ 25日(日) 『曾根崎心中』公演の詳細はこちら
近松門左衛門『曾根崎心中』


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私たちは、ロシア功労芸術家のレオニード・アニシモフを芸術監督に迎え、ギリシャ悲劇からチェーホフにいたる、古典作品から厳選したレパートリーを上演しています

平成27年3月27日、東京都より「認定NPO法人」として認定されました。


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